昭和31年、小松ストアーは百貨店法が改正されたことを受け、また中規模小売り専門店として再スタートするために、10年間開業し続けた本館を一新。そのために、一年間の大規模な工事が執り行われることになりました。
その大規模な本館工事中に、思わぬ事件が世間を賑わせる事となります。それは工事現場からの小判発掘というニュースです。「銀座の建築現場から小判発掘」、その嬉々たるニュースは新聞で大きく報じられ、全国を駆け巡ります。
改築するための工事中に小判<金>が出て来るとは、なんとも縁起が良い話であります。滅多に遭遇しない小判発掘という出来事ですが、商いをするための場所を建てている場所から<金>が出て来るというのは、かなりの機運を感じます。
その時の<金>の発掘量たるは、かなりのものでありました。慶長小判、享保小判を合わせて208枚。しかも出てきたのは小判だけに限らず、一分金も60枚ほど発見されます。工事を執り行っている最中に、最初に発見した人物はさぞかし驚いたことでありましょう。
小松ストアーは発見された小判・一分金は速やかに所有権を放棄し、個人蔵としてではなく、国の「埋蔵文化財」として上野の東京国立博物館に寄贈し、現在も保管されています。個人の財産としてではなく、国の文化遺産に取り決めるというのが、文化を大切に思う小松ストアーならではでありました。
小判発掘の事件は閉店中で、工事中でありながらも、小松ストアーが人々に違った意味で「夢」を与えた事件でもあったかもしれません。ある意味で、夢を与えるのを信条としてきた小松ストアーならではでこそ、起こった事件のようにも思えてきます。
そんな事件があった工事後に完成した建物は、地上8階・地下2階の以前とは見違える大きなビルとなりました。また入り口近くにエスカレーターを配置するという、当時では斬新であった構造となっていました。
新店舗での営業開始、発掘された小判の展示と小判にちなんだ記念セールが実施されます。その後も小判にちなんだ名目の販売促進戦略を、次々と打ち出して行くこととなります。なかでもユニークであったのが「小判チケット」の採用でした。これは現在では、すっかりおなじみになったポイントカードです。今日では、様々な店が採用していますが、当時としては新たなサービスの一つで、ポイントカードを小判に見立てたモノでありました。このようにして、小松ストアーはまた新たな時代を突き進む事となっていったのです。